この駅は、大正15年 10月 15日国鉄会津線の駅として開業しました。
ここも昔は有人駅で今は使われていませんが向い側のホームが今でも残っています。
開業当時からこの駅の周辺には、いろいろな店などが次々と建っていったそうです。
駅前には劇場があったそうで隣の旧北会津村に住んでいた私のばあちゃんは、映画を見に行くときはここに来ていたそうです。
しかし、その劇場は焼失し今はありません。
いろいろな資料を探していたとき私は戦時中の新鶴駅の写真を見つけました。
駅前広場やホームは今では考えられないほどの人にあふれその手には国旗を持っていました。
戦後には、駅の利用人数が衰えたため、一時は、駅の規模縮小になりそうになりましたが、
材木や米、農産物の出荷がこの駅で始まってからまた栄え始めました。
米に至ってはこの村から出荷される量の70%をこの駅から出荷していたそうです。
今では、昭和62年9月に無人化され、向かい側のホームや貨物ホームも使われなくなり
小さくなってしまいましたが、昔のホームやポイントを切り替えたてこのあった場所が今でも残っています。
2000年3月に駅舎が建て直され、今の状態になりました。