この駅は、1899年(明治32年)7月15日岩越鉄道の終点駅、若松駅として開業しました。
開業当時の駅名は、若松駅ですがその後、九州にある若松駅と区別するため会津若松駅という名前になりました。
岩越鉄道とは、今の磐越西線のことで岩越線と名前が変わって今の名前になりました。
その後大正15年10月15日に若松〜会津坂下間が開通し、その46年後現在の只見線が全通しました。
白虎隊の物語
会津若松駅を出たすぐそこには、白虎隊の銅像があります。白虎隊は今年の1月にドラマがあり皆さん結構知っていると思いますが、
会津戦争に際して会津藩が組織した15歳〜17歳の武家の男子によって構成された部隊で、
他にも玄武隊や青龍隊、朱雀隊もあったそうです。
本来は予備兵力だったものの、結局は主力部隊に混じって戦ったが、戸ノ口原の戦いで決定的な打撃を受け、飯盛山に逃れた。
しかし、白虎隊士が飯盛山から見た鶴ヶ城は、もう既に火に包まれ落城しているかに見えた。
しかし、このとき城は周りの建物などが燃えていただけでまだ落城していず、激しい攻防戦をしていた。
ところが白虎隊士は、これを落城したと勘違いし、その場で切腹してしまった。
だが、その中で飯沼貞吉が奇跡的に一命をとりとめたことでこの話が今も語り継がれている。
現在、白虎隊士が自刃した飯盛山は中央通りを真っ直ぐ行った所にあり長い階段を登っていくとまず白虎隊記念館があり
そこから少し上った所に、白虎隊士の墓やくぐってきた洞門、そして白虎隊士が自刃した場所があります。
そして、会津若松駅の白虎隊士の銅像は、飯盛山の方向をむいて建っています
ちなみに、当時の鶴ヶ城の屋根瓦は雪国用の赤瓦だったそうです。
会津若松駅は、1996年より貨物列車の発着が無くなり、1999年に貨物ホームのレールが撤去され、
2006年から会津若松オフレールステーションとなっています。
貨物ホームは、現在の駅の東側にあり現在のホームセンターがある辺りにありました。
この駅には、NTT東日本「福島の空」のライブカメラが設置されていて1、2番線の現在の様子を、以下のサイトで見ることができます。
※動画の視聴には最新の「Windows Media Player」、「FLASH Player」(無料)が必要です。
http://www.ntt-fukushima.com/